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「世の中には、様々な統計があり、時にはまやかしの統計もある。しかし、ただ一つ絶対に間違いのない統計が存在する。それは人間の死亡率は100%であると言う統計だ。」と言ったのは有名なサマセット・モームです。 「いつかは死ぬ」というのは100%確実なのに、その受け止め方が百人百様である理由は「死」の耐え難い重さにあると思います。人がどのような死に方をするのかを決定するには色々な要素がありますが、その人がどんな病気で死ぬかによって死の様相は随分異なります。「死と向き合う時間」の恐怖を味わいたくない、又は、介護の世話を家族に煩わせたくないという思いから死ぬときはポックリ逝きたいと願う人が多いようです。そしてその対極にある「ガン」を忌み嫌うようです。
しかし、仮に治る見込みのない末期ガンになってしまっても、それは、すぐに亡くなってしまうという病気ではありません。残される期間は年か月か週か日かわかりませんが、それでも時間は幾分かはあるのです。この間に、何かしらのことができると私は思っています。それは、お世話になった人に挨拶をしたり、妻ないし夫、子供達に思いを伝えたり、やり残した仕事を後任に託したり、人生を振り返ることなどです。 しかし、この時に身体的、あるいは精神的に苦痛があっては、思い通りの最後の日々を過ごすことはなかなかできないでしょう。その時には、私たち医療のプロが最大限の協力を惜しみません。痛みに苦しむ患者さんが心豊かで有意義な最後の日々を送るためには、緩和ケアが不可欠です。 仮に末期ガンになっても、少なくとも緩和ケアが有効であれば、何かしらをする「時間」を持つことができるのです。「ガンは幸運な病気でもある」と言う真意は、ここにこそあります。この時間を価値ある時にして頂きたい。これは、私の願いでもあります。 患者様の立場に立って行う医療、患者様に寄り添う看護、患者様に尽くす医療・・・この当たり前の医療と看護を私たちは取り戻さなくてはいけないと思っています。 |