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医療安全について 〜患者参加と安全文化の醸成〜 |
リスクマネジャー 大山ちあき |
安全な医療を提供することは、病院の使命であります。当院では、全ての職員が患者 |
様の安全を最優先に考え、その実現を目指した体制や考え方が出来るように、安全文 |
化の醸成に努めています。そして、患者様が安心して、納得のいく医療が受けられるよ |
うに心がけています。 |
しかし、「医療=安全」は成立しません。なぜならば、医療を行うのも医療を受けるのも |
「ひと」であり、「ひと」は過ちを犯すものであり、過ちをゼロにすることは不可能だからで |
す。それではどうしたらよいのでしょうか。 |
当院で行っている、安全な医療を実践するためのいくつかの取り組みを紹介します。 |
患者誤認防止のため、受付で、外来で、診察室で、検査室で、病室でも、患者様の |
お名前をその都度確認させていただいております。 |
薬品間違いを防止するため、お薬を配る時、点滴注射を行うときに、患者様のお名 |
前と薬品名を指で指して、声に出して読み上げております。 |
転倒転落防止のため、ポータブルトイレは、その都度お持ちしています。 |
車椅子移動の方には、トイレ介助時そばに付き添わせていただいております。 |
その他にも、安全な医療を実践するため、それぞれの職員が努力しております。 |
煩わしいと感じられる場合もあるかもしれませんが、患者様のご協力をよろしくお願い |
いたします。 |
医療の安全のために大切なことは、患者様と職員がお互いの信頼関係を保ち、協力 |
して医療を行うことです。医療提供者は患者様にわかりやすく医療を伝えること、また |
患者様は自分の受ける医療について積極的に参加していただくことが大切だと考えて |
おります。 |
そこで、患者様にお願いしたいことを、以下に示しました。 |
お名前の確認時には、ご自分の名前をはっきりとおっしゃってください。 |
疑問に思ったことは、近くの職員に、気兼ねなくお尋ね下さい。 |
患者誤認防止のため、入院される患者様には「リストバンド(氏名が書かれた腕に |
巻くバンド)」を付けていただきます。 |
ご協力お願いいたします。 |
医療の安全確保は重要な課題であり、当院も病院全体をあげて取り組んでおります。 |
「医療安全」について、患者様と職員が共に実践することが重要だと考えております。 |
ご意見等ありましたら、お気軽にお寄せ下さい。 |
2007年秋 39号
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当院では、患者さまご本人であることの確認方法として、お名前を名乗っていただい |
ております。 |
このたび、これをさらに確実なのもとするため、平成19年8月27日から入院患者さまに |
リストバンドを装着していただくことになりました。 |
装着には入院病棟で、看護師・患者様・またはそのご家族と表示内容を確認の上、 |
装着していただきます。 |
多少ご不便をおかけしたり違和感を感じられる場合もあるかとは存じますが、趣旨を |
ご理解の上ご協力をおねがいします。 |
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2007年秋 39号
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地域医療連携担当チーフ 齋藤 昭夫
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「齋藤さんがんの疑いがありますね」「え、がん・・・・・何で、俺ががんに、どうして・・・・・ | |||||||
俺はこのまま死んでしまうのか」途端に二人の子供の顔が、脳裏に浮かんできました。 | |||||||
そして、「子供を大学に出してやることができないのか」と思いました。 | |||||||
これは、平成16年3月26日午前9時30分、公立富岡総合病院外科診察室での高井先 | |||||||
生との会話でした。私は、この日のことを思い出すと、3年6ヶ月経過した今でも熱いも | |||||||
のが、胸にこみ上げてきます。 | |||||||
「じゃあ、検査科で超音波映像を撮りましょう、検査科に行って下さい」私は検査科に | |||||||
向かいました。50メートル位の廊下は、私にとってはまるでふわふわとして、雲の上を歩 | |||||||
くようでした。検査科のベッドに横たわり、ワイシャツの襟を開き、喉を出しました。 | |||||||
「ここに1センチメートル位のシコリがありますね、リンパ節は」と言いながら、高井先生は | |||||||
私の喉の検査をしてくれました、検査が終ると私の喉を拭いてくれながら、「又診察室に | |||||||
もどって下さい」と言われました。 | |||||||
診察室に戻ると、書類に喉の絵を書き、「喉のこの部分に甲状腺があり蝶のような形 | |||||||
をしています。齋藤さんの腫瘍は、1センチメートル位で左側にありますので、甲状腺の | |||||||
3分の2を取りましょう。甲状腺を取ると、甲状腺の裏側にある、反回神経を刺激して、声 | |||||||
がかすれることがありますよ」「そうですか分かりました。がんなら早く取って下さい」 | |||||||
そして手術日は、3月29日に決まりました。 | |||||||
「齋藤さん、齋藤さん起きて下さい」高井先生の優しく呼ぶ声で、私は目覚めました。 | |||||||
「手術は終りましたよ、成功しましたよ」手術室から出ると、妻が待っていました。病室に | |||||||
戻り、手術の成功に喜びながら、私が妻に「がんを見たの」と尋ねると妻は、「何を言っ | |||||||
てるの」と私の口元までやってきたので、「がんを見たの」ともう一度尋ねると妻が、「甲 | |||||||
状腺の赤い肉の中に、1センチメートル位の黄色いシコリがあって、これが腫瘍だと | |||||||
高井先生が教えてくれたよ」と笑いながら答えてくれました。あれ、なぜ妻が私の口元 | |||||||
まで来たのだろうか、不思議に思い再度妻を呼びました。この時に高井先生の言われ | |||||||
た、声のかすれの事を思い出しました。 | |||||||
そうです、私は声を無くしたのです。「あ、声が出ない・・・」すると私の口元まで妻が来 | |||||||
て「お父さん何」と耳を口元に当てました。「声が出ない」本当に搾り出すように、かすか | |||||||
な声で言うと。「良いじやないの声が出なくても、命が助かったんだから」と笑いながら | |||||||
私の肩をたたいてくれました。 | |||||||
2日ほどして、一般病棟の病室に入りました。さらに2日後の、4月2日午後4時30分頃、 | |||||||
に高井先生が病室に見え、「齋藤さん、やはりがんがありましたね。手術の時に取った、 | |||||||
周りのリンパ節にも、がん細胞が転移していました」と言われました。「え・・・リンパ節に | |||||||
もがんが入っていた」その日はとても眠れなくて、看護師さんに睡眠薬を頂き服用しまし | |||||||
たが、朝まで一睡も出来ませんでした。しかし私にとって、高井先生が最初から本当の | |||||||
事を隠さずに、言ってくれたので救われました。何故なら私は、私の体内に出来たがん | |||||||
と向き合い戦えたからです。 | |||||||
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手術から1ヶ月が過ぎた頃、自宅のパソコンのインターネットに、甲状腺がん患者様の | |||||||
投稿ページを見つけました。「反回神経を分断していなければ、3ヶ月位で声は元通り | |||||||
出るようになる」とがん患者様からの投稿がありました。「そうか、本当に3ヶ月で声が出 | |||||||
るようになった人がいたのか」とてもうれしくなり、何度も読み返しました。 | |||||||
しかし、3ヶ月が過ぎましたが、私の場合は声が出ませんでした。相変わらずのしわがれ | |||||||
声で、弱気になり妻に、「このまま一生声が出なくなるのかな」と尋ねると妻は、「お父さ | |||||||
んの声はとてもハスキーで素敵よ。なかなかそんな声にはなれないよ」と明るく笑顔で | |||||||
言うのでした。手術から3ヶ月目の診察の時に、私は高井先生に涙声で、「先生声は出 | |||||||
るようになりますか」と尋ねましたら先生は、「神経は切っていませんから・・・・」と答えら | |||||||
れました。今考えると、なんて愚かな質問をしたのか、恥ずかしく思います。何故なら、 | |||||||
甲状腺がんになったのは私の責任です。高井先生は、私を手術でがんから救ってくれ | |||||||
たのです。冷静に判断すれば分かる事なのに、その時の私は声が出ない事で、意識が | |||||||
混乱していました。 | |||||||
さらに1ヶ月間、長く苦しみの時間が続きました。しかし、ある日突然に裏声のような、 | |||||||
少し大きな声がでました。「あ、声が出た、声が出た」とても嬉しくなりました。妻も本当に | |||||||
喜んでくれました。それから数週間で、声は完全に元に戻りました。妻も私以上に心配 | |||||||
してくれていたと思いますが、私のような愚痴は一言も言いませんでした。妻は16歳の | |||||||
時に、父親を胃がんで亡くしているので、がんの恐ろしさを私以上に知っているはずな | |||||||
のに、いつも笑顔で私を支えてくれました。 | |||||||
早いもので、たくさんの涙を流したあの日から、3年6ヶ月の年月が流れましたが、私の | |||||||
甲状腺がんに関わって頂いた高井先生、看護師さんを始め公立富岡総合病院の皆様 | |||||||
には、献身的に看護をして頂き本当に有難うございました。 | |||||||
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がんに関して少しでも心配をお持ちの皆様、どうか相談支援センターを訪れ、がん看護 | |||||||
専門看護師、臨床心理士や医療ソーシャルワーカーなどの相談員に、がんの苦しみを | |||||||
お話し下さい。そして何時の日か、私と同じようにがんの苦しみを、これからの、素晴ら | |||||||
しい人達との出会いの中で、喜びに変えて下さい。 | |||||||
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2007年秋 39号
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